どうなるか市民会館

 10月14日(祝・月)にワークショップ、「市民会館を考えよう」が開催される(主催:ジモッピーN・市民会館文化祭実行委員会・武蔵野市教育委員会)。
 武蔵野市では現在、公共施設の再配置を計画しており、市民会館の今後にも影響があると考えられている。そのため、現在の市民会館をつくるさい、議会への陳情など市民活動をされていた人たちが集まり、当時はどのようなことに期待していたのかを振り返り、今後の市民会館のあり方を考えるのが趣旨だ。

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概要は下記。どうぞ、ご参加ください。

 とき  2013年10月14日(月)体育の日
     午後1時30分から4時まで(受付開始午後1時から)

 ところ  武蔵野市民会館 地階 集会室
     【武蔵境駅北口5分、武蔵野市境2-3-7、TEL:0422-51-9144】
     
 内容
  話題提供者
       伊藤徳子さん  白石ケイ子さん  高見政良さん  田中知子さん

 コーディネーター 
   田中 雅文さん (日本女子大学教授 武蔵野の森を育てる会代表 武蔵野市NPO・市民活動ネットワーク理事)

 定員 50名  (直接会場へ)

■ 昔から貸部屋。今はどうか

 市民会館は、公民館(※)ではなくコミュニティセンターでもない武蔵野市独自の施設。現在の施設を建設するさいには市民から多くの要望があり、議会にも「市民会館改築に関する請願」が提出され1981年(昭和56)に「請願文中の字句は別として、市民の声が反映されるよう普処されたい」との意見が付き、全会一致で採択(賛成)されている。

 この請願の内容は画像のとおりだが、「社会教育施設として行ってください」との要望が主な趣旨だろう。「現在の市民会館は、ほとんど貸部屋として利用されており、社会教育としての機能を果たしておりません」と書かれているのが印象深い。

 この時の議会の議事録を読み返してみると、以前にも社会教育施設の設置に関する請願が提出され、54年5月議会において「財政計画勘案の上、善処されたい」との意見を付して、全会一致で採択されている。社会教育委員会の答申でも、市民会館は単なる貸し部屋であると断定し、市内の社会教育施設は図書館しかない。第二期長期計画の策定時には教育委員長から社会教育会館の設置を強く要望していたなどの背景があったことが述べられていた。

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 この請願や市民要望があったのは今から約30年前。時間がたち、今の市民会館はどうだろうか。貸部屋ではなくなっているのか。そもそも、市民が利用したい、学びの場になっているのだろうか。

 公共施設の再配置で市民会館は複合施設になることや他の機能を追加する。あるいは、なくしてコミュニティセンターになる可能性は否定できないと思う。今の段階では何も確定していないが、遠くない将来に考えなくてはならない大きな問題だ。せっかくある施設が活用されているのか。何のために作られた施設かを再認識したあとで、この先のことを考えることが何よりも大切だと思う。

※公民館:その地域の住民の教養の向上・健康の増進・情操の純化などを図るため,社会教育法に基づいて市町村が設置する施設。講習会・学習会・集会など住民の自主的な社会教育活動の場として提供される(大辞林 第三版の解説より)。

■武蔵野市に公民館がない理由

 武蔵野市になぜ公民館がないかは、市民の考え方が他の自治体と異なっていたからだろう。武蔵野市は、「社会教育の終焉」で知られる政治学者、松下圭一氏の影響が強く、公民館をつくらずコミュニティセンターを拡充してきた経緯がある。行政が市民が教育するのではなく、市民が自ら学習するとの考えて行政はその条件整備をするもの。武蔵野市民であればできるとの考えだ。

 その具体的な考え方は、初期の長期計画策定委員やコミュニティ市民委員たちがいわゆる公民館的要求(施設を建設したならそこに社会教育主事等の専門の職員を配置して講座等を開き住民を教育・指導する)に応じなかったと高田昭彦成蹊大学特任教授の論文、『武蔵野市のコミュニティ政策(基盤整備期) : 「コミュニティ構想」に込められた想い』(成蹊大学学術情報リポジトリより)に記されている。

 その理由を下記に引用してみよう。

○そのような市民性が十分でないとすれば、まず最小限必要な地域の人々がいつでも集まれるコミセンを造り、しかもその建設から管理運営に参加することによって、主権者としての主体性を自覚するようになるきっかけをつかめるだろう。
○人々は自分たちの城であるコミセンで参加の中からお互いに交流・親睦を深め、上からのお仕着せの社会教育などではなく、必要なら自ら学びあうのがコミュニティであろう。
○武蔵野市民は、その高学歴の構成一つをとっても、十分に自ら学習する能力を備えており、今更社会教育によって市民性なるものを教えてもらう必要は毛頭ない。
○仮に専任の社会教育主事が置かれたとしても、この人たちが市政の全般にわたって通暁しているという保証はない。
○市民運動は、市政のあり方への不満や批判から、それと真っ向から対決することもありうるのに、社会教育主事がそのような反権力的運動の指導などできるであろうか。

 このような背景があり公民館がなく、公民館的な要素の強いものの純粋な公民館ではない市民会館ができたとも考えられる。この考え方がひとつの時代、武蔵野市らしさを創りあげたのは確かだ。しかし、その結果、今はどうなのか。コミュニティセンターのあり方も含めて考え直す時期ではないかと思える。この意味でも重要なワークショップだと思う。