民主党惨敗で考えていること

 自民党が圧勝し、民主党は惨敗だった。この結果は、政党としての存在意義を問われている。

『幹部の一人は「ここまで有権者の民主党離れが進んでいるとは思わなかった」とこぼす』(日本経済新聞2013/7/22)と報道されているが、これが本当なら何を考えてきたのか、頭の中身を見たいほどだ。海江田代表は、『民主への一時の大逆風はピタリと止まりつつある』と記者会見で発言し(朝日新聞2013年06月03日)参院選に突入したが、結果は事前の予想通りだった。これは現場にいても感じていたものだ。



 民主党に裏切られたと思う人たちへマトモに反省をしたのか、見せてきたのかが問われたのだ。民主党の支持者がたくさんいると勘違いしていたことがそもそもの間違いの元だろう。
 今回の参院選を振り返れば、自民党への対抗軸になろうと批判をしたが、批判だけなら共産党のほうが一枚も二枚も上、パフォーマンスでも無所属候補に完全に負けていた。ネット選挙への戦略も寂しいかぎりだった。
 まかりなりにも政権を担った政党なのだから、批判だけでなく対案を示すべきで、できなかったこと、さらに政権の失敗への反省の姿勢もないことがこの結果に結びついたのだ。当然の結果であり、政党としての存在意義が問われている結果だ。民主党がなくなったら、国民は困るのか、必要なのかを問わなくてはならない。
 

 民主党は、これから誰が悪いとか、アイツを追い出せなどお家騒動が始まるのだろう。誰かの責任にしておけば、自分は守られる、正しかったと言い訳ができるからかもしれない。だが、誰かの責任ではなく全員の責任なのだ。特に国政選挙なのだから国会議員だった人ならなおさらだ。代表や幹事長の責任問題も出るだろうが、私は辞めたから変わるわけでもないのだから、辞めろとは思わない。
 
 そんなことよりも、民主党は一からの出直しではなく、ゼロからの出直し、必要な政党なのかから考えるべきだ。政党としての立ち位置が明確でない。綱領もない。誰のため、何を目指す政党なのかを考え、議論し作り直すべきだ。ムードだけで勝てた時代はもう忘れ去るべきなのだ。その過程で党が分解してもいい。そうでもしないと政党としての意味がなさない。
 
 政治を単純化すれば、新自由主義を推進するアメリカモデルと社会民主主義を推進するヨーロッパモデルがあるが、私は社会民主主義の政党になるべきだと思う。自民党で出馬できなかったから民主党に来たような人や自民党を同じようなことをしようと考えていたら、入れてくれるかは別として、自民党に入れてもらえばいい。
 ただし、組合だのみの旧社会党のようにではなく、市民に根付いた政党としてだ。無党派の人に理解してもらい、支持を得られるように、時間はかかるかもしれないが進むべきだと考えている。