マニフェストの再考

マニフェストはうそつきの代名詞なのか。
あらためてマニフェスト、特に首長や地方議員によるローカルマニフェストについて、朝日新聞(2013年1月20日)にコラム記事、「(政治断簡)市民主権へ マニフェストは用済みか」があった。
奈良の政策研究ネットワーク『なら・未来』を例として、自治体経営のあり方をトータルに考え、『私たちの地方政府、私たちの議会』を作るために主権者である市民が活用できるとの内容だ。

元三重県知事の北川正恭・早大大学院教授が「民主主義を進化させる試み」とコメントで指摘しているように、マニフェストとは何かを今一度、考えてみるべきなのだろう。その場限りの公約ではなく約束を示して、選挙を行う必要性は少しも色あせていないはずだ。

民主党のマニフェスト。道具が悪いのではなく、使い方が悪かったと私は思っている。大風呂敷ではなく、何が課題でどのように現実的に改善するか、その手法を選挙で決めていく。あるいは、今後の進路を示し市民が判断する。誰もが同じようなきれいな言葉だけを並べ選びようがないような公約では意味がないはずだ。人柄だって、文書だけでは分からない。政治を変える意味でも重要なのがマニフェストだと私は考えているが、信用は地に落ちている。政権へのマニフェストだけでなく、自治体の首長、議員のローカルマニフェストも再考する意味でも刺激的な記事だった。