議会は、責任を持って決めているか

 地域主権はかなり進んできている。しかし、その責任を議会は果たしているか。例えば、市町村の教育長。1999年の地方分権一括法が施行される前までは、都道府県の承認が必要だったが、今は不要になった。選ぶのは市長だが、最終的に決めるのは議会だ。地方自治で教育が最も重要と考えれば、その事務の統括であり職員を指揮監督する教育長の同意(賛成)をどのようにして決めているか。委員会で時間をかけ議論をせず、本会議で質疑もしないで決めていないか。教育は国や都道府県だけの責任ではない。誰の責任か。議会の責任は大きい。自覚と認識を持ってほしい二重の責任を持つ議会がどう考えているか。

 これは、10月10日にあった全国市議会議長会研究フォーラムで片山善博元総務大臣(慶応義塾大学教授)が基調講演で指摘していたことだ。武蔵野市議会でも指摘のように、教育長を含む教育委員の選任議案は、質問も議論もなく決めている。
 
 今の教育長や教育委員に問題があるというのではないが、確かに市民が理解できるように責任を果たしているかと言われれば、議事録が残るとことろでは何もない(本会議や委員会での質疑がない)のだから指摘される通りだと思う。
 片山さんは、議会の役目にはチェックと評価があるが、このことを議会の役目としてある。教育現場には、課題がたくさんありチェックをして是正へ向けて努力をしているか。このことと教育長の同意とに議会は二重の責任を持っているとも指摘していた。

gityoukai 教育現場の課題として、メンタルケアが必要になっているが、議会として考えているか。校長先生を参考人として呼んでもいい。現場にメンタルケアが必要となれば予算を付けるようにすればいい。そのようなこともしないから教育は良くならない。わが国の教育構造の欠陥だ。イベントに金を使うなら学校現場に注ぎ込んで欲しい。教育現場職員の非正規化が進んでいるが、これは都道府県の責任でもあるが、市立の学校で起きていること。市の子どもであり市が経営し議会も責任があるなかで座視していていいのか。大問題だろう。
 大津市のいじめ問題で教育委員会が批判されているが、教育委員は日当制だ。これは、この“業界”の先進だったが、日当ならたいしたことはできない。一日でも出てくると日当欲しさと言われてしまうかもしれない。月に一回しか出ないからいくらではなく、毎週、毎日出るべきだろう。それで報酬が少ないから出ないというのであれば上げればいい。制度や報酬面も含めて考えるべきで、これらを考えて同意をしているか。いい加減な同意でないか。人事は、やって欲しいことを示して任命する。嫌がられても4年経てば人は変えられる。

 他の問題についても、何が課題で何をするかを聞いているか? 聞くべきだろう。物事を決める前に公聴会を開くべきだ。決まったうえで聞くのでは意味がない。何も聞かないで決めることのほうがもっとおかしい。他の問題でも同じだが、意見を言いたい人は、100%でなくてとも聞いてくれた、少しでも反映されたで納得することもある。議会はやっているのかとの問いかけもあった。

■制度を使いこないしているか

 片山さんの話を伺うのは、2011年で三回目だった。どの話も興味深いものばかりで、指摘されていること。特に議会については一貫している、それは、あれこれ言う前に、今の議会が持つ権限、機能を使いこないしているか、理解しているか。決定する権限は議会にあり、責任を持って決めているかということだ。
 教育長人事で言えば、何も質問をしないで同意してしまうのは、確かにどうかと思った。議員も同じだが、職にあることが目的ではなく、何をするためにその職にあるかが問われれるのだと思う。武蔵野市のことで言えば、資料などから特に問題はない人で期待ができると思い同意をしたが、何を課題と考え、何をしたいのかは具体的には聞いていなかった。反省すべきことだった。もっと時間をかけるべきだったと思う。
 地方自治にとって教育はもっとも大切というのは同じ思い。同意した以上、今後に何をしたいのか、するのか、現実的課題に対して議会として何をするのか。文句だけではなく具体策を考えてみたい。そしてそれには、多くの人から話を聞くことや調査が必要であり、審議する時間も議論する時間も必要になる。つまり、今の議会審議の内容を考え直すことになり、それこそが議会改革につながるのだと改めて思った。