鳩山元首相の出馬断念で考えたこと

 鳩山元首相が出馬を断念したと報道されている。理由は民主党が公認する条件とする“踏み絵”に納得できないからだという。もともと出馬をしないと発言していたこともあり、選択肢としてはあったのかもしれない。しかし、民主党の創始者がこのような形になるのは、どうなんだと思ってしまった。

“踏み絵”は、共通の理念、政策を持ち活動することが政党とすれば、党の公認候補としては必要だと思う。特に最近の民主党内部の足の引っ張り合いや選挙目当としか思えないような離党を見ていると党の綱領がない政党としては、一定の範囲では必要だと思う。
 しかし、踏ませることで、幅広い価値観を持つ民主党のある意味での良さを消してしまわないかと危惧をしてしまう。何よりも、“踏み絵”がどの程度の党内議論を経て、納得を得て決まったのかあまりにも不明確だ。さらに地方議員にとっては、作る課程が皆目、分からない。党の、とはいうが、一部国会議員が決めてしまったと思えてしまるからだ。
 このことを変えていくのが民主党の再生なのかな、と思った。次の総選挙の結果は分からないが、その次の総選挙までに確立することが必要なのだろう。

 11月21日の朝日新聞オピニオン欄に一水会の鈴木邦男さんのインタビュー「天敵いなくなった右 左翼は理想を語れ〈乱流総選挙〉」が掲載されていた。このなかでもっともだなと思ったのが、対立する考えの人と議論を積み重ねることの重要性だ。相手をつぶすことだけを考え、『異論をぶつけ合うことで議論が進化する、それが民主主義のよさだなんて思ってもいない』、価値観は違っても議論を重ねていくことで相手の考えていることが分かると発言されていた。そのような議論をすることがないのが今の政治家とも指摘していた。

 価値観が違うものと最初から議論をせず、互いの着地点も探さず批判する、排除する、あるいは逃げ出して居心地のいい場所、自分に有利な場所を渡り歩き、勝手に叫んでいるだけで何も進めようとしないように思う最近の国政に重なってしまったからだ。
 人はそれぞれ価値観も考え方も違う。その中で、主張や批判、排除を考えるだけではなく、国民に何が最善かを議論して作り上げていくことが政治ではないだろうかとも思った。

 鳩山元首相についていは、普天間基地など“軽い”発言がいろいろな問題を引き起こしていた。確かに首相としてはどうなのかと思ったが、考えていることはもっともなことで、それこそ、市民感覚をそのまま発言してしまったのだろう。人間的にはいい人だと思うが、タイミングを含めて発言できること、できないことを痛いほど体験しているはずだ。それが、このタイミングでの引退公表は、自ら創設した民主党の足を引っ張ることにつながらないかと思った。いわんや、他の政党から“復活出馬”は…、ないのだろうな。いくらなんでも。