中島飛行機変電室跡の保存に黄色信号 

 昨日で一般質問が終わった。これから各常任委員会と予算委員会へと議論の場は移る。一般質問とその前に行われた代表質問ではいろいろな論点があった。詳しくは議事録などをご参照いただきたいが、いくつか、今後のポイントになると思われることがった。そのひとつは、武蔵野市にかつてあった中島飛行機工場の変電室跡を保存するかどうかだ。

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 武蔵野市にはかつて、ゼロ戦のエンジンを製造していた軍需工場、中島飛行機株式会社武蔵野製作所があった。今では想像もできないが、このことから太平洋戦争の末期には、米空軍による激しい空襲を受けている。昭和19(1944)年11月から翌20年8月までに10回以上にわたって空襲があったという(むさしの百年物語より)。
 その記録となるものはあまり残っていないのだが、残るもののなかで最も象徴的なのが中島飛行機の変電室跡だ。邑上市長も、市長選挙のときのマニフェストで残したいとしていた。しかし、保存に黄色の信号が灯った。

 先の代表質問で変電室の保存についての質問があったのだが、変電室のある都営緑町団地が建て替えのために住民が隣地へと転居しており、取り壊される予定だが、その跡地は公園として整備して欲しいと市は都に要望していることから、保存が困難と思える市長答弁があったからだ。
 公園には基本的に最低限の施設しか建てられない。広大な面積の公園ならまだしも、緑町団地のあとの用地は1万平米というもので施設を作れるような広い公園ではないからだ。
 また、残して欲しいとの意見は多いが、一方で他市にあるような銃弾が残っているようなことはなく、窓はアルミサッシに変えられ壁も塗り換わっている。今ではたんなる倉庫で見た目にもどうなのか、と疑問視する意見もある。実際の建物を見ると説明してもらわないとなんだか分からないのは確かだろう。

 戦争記録を保存することは必要だし、中島飛行機のあったこの場所に資料館があればいいとは思う。しかし、市には段ボール箱で3箱程度しか資料はないそうだ。となると、変電室は残すべきなのかという疑問は当然だろう。変電室の壁だけ残してモニュメントというのもピンとこない。公園にしないのであれば、保存の可能性は出てくるとは思うが、現状ではかなり厳しいと思う。
 
 変電室を含めて移転が終了した後の緑町団地は近く取り壊される予定だ。取り壊しは東京都が行うが、今のところ、具体的なスケジュールは確定していない。だが、そう遠くない時期に残すか、残さないか。何よりも残せるのかの結論がでることになる。

【参考】
武蔵野市議 川名ゆうじの武蔵野blog
 武蔵野市に残る戦争の記憶