奈良市議会が総合計画を否決 市民参加の市民とは

 奈良市議会が総合計画(武蔵野市の基本構想・長期計画)を否決した。同案は、2011~2020年の市政運営の最も基本となる計画。来年度予算にもかかわるので市政運営は混乱が予想される。賛否は、反対18、賛成15、退席5という票数だった。



 新聞報道によると『各種証明書の取り次ぎや地区の団体との連絡調整に当たる連絡所の見直しが含まれていることに議会側が反発。仲川げん市長が存続させる方針を示したものの、説明不足などを理由に態度を硬化』したことが理由(毎日新聞奈良版2011年2月8日)。
 また、『計画案策定には、公約通り「市民参加型」で、あたかも手順を踏んできたように書いてある。その結果はどうだったか。昨年9月議会に提出した議案で、実に433カ所もの修正、削除が指摘されるほどお粗末なものだった。それを300カ所ほど修正したから、これでいいというものではない』(奈良新聞2011年2月25日)との指摘もある。一昨年7月に誕生したばかり市長の市政運営の手法も課題だったのだろうか。

 この否決に対して、原案作成にかかわった市民委員が「市総合計画を考える緊急市民集会」を開き全市議へ説明を求めた。出席したのは全市議39名のうち8人。それぞれ賛否の説明をしたという(毎日新聞奈良版2011年2月28日)。

 
 詳細が分からないので何ともいえないのだが、記事だけを読むと、議案なのだから否決することは十分あり得ることで、結果の説明責任は議会にあると思う。議会報告会を議会として行うべきでは、と思った。また、修正はできなかったのだろうかとも思った。

 話は変わって武蔵野市。
 現在、第五期・基本構想長期計画を策定中だが、この間、市民会議(ヒアリング)や議会でも市の考えや計画が当事者に知られているのか。伝える努力を市がしているのかと何度も指摘されている。今日の一般質問でも砂川なおみ議員が当事者の市民に伝わっていないと何の意味もないと普段では思えないように強く指摘していたことが象徴的だ。たとえいい内容の計画だとしても、当事者に理解されていなければ、誰のための計画なのかとなるからだ。この流れは、少数かもしれないが、市民を切り捨てての計画にならないかと危惧をしてしまう。

 計画策定への市民参加は標準装備すべきことだが、装備した次のステップとしてどのような市民が参加したのか。利害関係者と何をどのように議論したのかが問われるのだと思う。利害関係のない市民が参加したから市民参加で策定しましたでは、たんなるアリバイ作りだ。特に総合計画が、絵に描いた餅であまり意味がないと割り切ってしまうのなら、それはそれでひとつの考え方だろうが、総合計画を元に各年の予算も考える計画行政をするというのであれば、市民参加とは何かをもう一度、考え直す必用がでてきるのではないだろうか。
 
 次の土日に無作為抽出市民による第五期・基本構想長期計画のワークショップが開催される。この方式は気づきの道具とは高く評価したいのだが、ワークショップの結果をどのように反映するのか。抽出されていない当事者の参加をどうするのか、したのかが、今後、大きな論点になるように思えてならない。今問題になっていることの多くが当事者の意見を聞いたのか、説明したのかが問われているからだ。
 また、討議要綱が策定される前には、武蔵野市の将来を考える市民会議という公募市民による委員会が設置されていた。この会議での意見がどのように反映されているのだろうか。
 今後の策定で反映はされていくと考えているが気になることだ。

 先の奈良新聞には『議会の意思もまた市民の意思だ。それを無視し、否定するような政治姿勢そのものが問題なのだ。
 仲川市長がよく「市民、市民」というが、その「市民」とは何か。自らの周辺にいるわずかな人たちだけではないか。そして支持した多くが、旧市街よりも新住民層に多いことも特徴だ。この街を愛し、この街で暮らす多くの人々の声が、どこまで届いているのか疑問だ』との指摘は注目すべきだろう。
 
 奈良市のように武蔵野市がなるとは現状では思えないが、総合計画策定中の市としては、気になる結果だ。奈良市はこれからどうするのだろう?