議会必要論者だが、なんとかしたいと片山大臣 「地方政府の多様化を進めるシンポジウム」

多様性議会 002 12月19日に開催された「地方政府の多様化を進めるシンポジウム」に参加してきた。基調講演で片山総務大臣が阿久根市や名古屋市の例から議会不要論が高まるなか「議会必要論者だが、なんとかしたい」と発言していたように、現状の地方議会のままでは課題が多いのは確かだなのだと思う。しかし、その何とかするにはどうすれば良いのだろうか。制度を変えれば変わるのだろうか。



 このシンポジウムは、議会への批判が高まっているのは、時代の流れのなかで、地方自治法などに定められた画一的な制度が実情にあっていないのではないかとの問題意識から、議会が責任を持って活動するにはどうすればいいのか。現状の二元代表制以外の選択肢も考えるべきではないか、という問題意識から企画されたもの。主催は、地方政府の多様化を進める議員連盟(共同代表:荻原隆宏横浜市会議員、鈴木太郎横浜市会議員)。私も名前を連ねているが、超党派の議員による連盟だ。

 ■地方議会のおかしなところは結論が決まっていること

 シンポジウムは、二回のパネルディスカッションがあり、その間に片山大臣のスケジュールの都合で基調講演が入るとの構成だった。
 片山大臣は「議会不要論があるが論外だ。人口が少ないところであれば、議会を置かずに住民総会にすることもできるが(※)、住民は仕事を持っているのだから無理なこと。だから代議制が必要になり、首長と議会を持つようになっている。諸外国では、首長を選ばない制度もあるように、民主主義は議会にあると考えている。しかし、議会が市民を代表しているかは疑問だ。
 大学のゼミ生に議会を傍聴させに行かせているが、戻ってきたゼミ生は驚いて帰って来る。議会は死んでいる、お経を読んでいるようだとが言う。このことは全国的なことではないとは思うが、議会必要論者として何とかしたいと思っている。

 地方議会のおかしなところはいろいろがあるが、傍聴という言葉がまずおかしい。市民が議場の傍らにいるのでいいのだろうか。市民が主権者であって議会、議員はその権限を授権しているに過ぎないからだ。市民が主役ではないと言っているような言葉に思えている。
 何よりもおかしなことは、結論が決まっていることだ。議論は、途中で結論が変わるから意味がある。自分の考えは、議論によって変えてもいいはずだ。議論の途中で、反対の論者の意見で、なるほど一理あると思えば変えればいい。議論は議員間で行うべき(執行部への質問は議論ではない)。そうなれば議論に市民は納得させられる。多様な意見が集約され合意するのが議会であるはずだ。事なかれの議論では、何の意味もない消化試合のようなものだ。

 議会は本当の議論はしていない。実際に首長提案の議案は、ほとんどが可決している。これでは議会はいらないとも言える。
 首長は全てを納得はしていない。思い違い、間違いもある。だから、多くの目で検証し判断するために議会はあるはずだ」と現状の地方議会の問題点を指摘。本来の仕事をしていないから、議会への不信、不要論が出てくるとしていた。

 また、阿久根市の例については、リング(議場)の上で議論をして時には妥協をすべき。名古屋市については、リングを降りてダメ言っているようなもの。民主主義、二元代表制はリングの上で議論をすべきとされていた。

 海外の地方議会では、まず議会で議論を行い問題点を抽出。そして、市民の意見を聞いたうえで再び議会で議論を行い結論を出す例があるとされていた。決める前にいろいろな意見を聞くべきだとの指摘もあり、まさにそのとおりと思う内容だった。
 

※地方自治法第94条では 町村では議会を置かず、有権者の総会でも良いとしている。実際に置かなかった自治体もある。

■二元代表制を変えるべきか

 パネルディスカッションでは「地方議会は何故機能をしていないのか」と「多様な地方政府を選択することとは」をテーマにパネラーと会場参加者との間で議論が行われた。この二つのパネルディスカッションをとうして思えたのは、今の議会、議会制度には課題が多すぎる。しかし、今の制度でもできることもたくさんあり、まずやってみるべきではないか、がこの日の結論ではないかったということだ。

 この論はマニフェスト大賞の議会改革賞を受賞した三重県議会の三谷哲央議長が主張していたことだが、実際に議会改革を進めている人から言われるのだが最も説得力があったた。とはいえ、そうは言っても議会改革は進まない。片山大臣に指摘されるように議論できる議会にしようにも、議会改革を進めたい人は少数でしかない、が会場参加者の本音のようにも思えた。
 だからこそ、制度を考えてみる必要があるのかもしれない。議連の共同代表でもある荻原市議が横浜で開催された「開国博Y150」で大幅な赤字を出し税金で補填されることになった。内容について議会が決めたわけではなく執行権の中での失敗。しかし、決めた市長は今はいない。このことに象徴されるように、予算編成と執行を一人の政治家に任せていいのか。政治家によるコントロールができているのか、との問いかけには考えさせられるものがあったからだ。海外にあるように、議会に予算編成権を持たせるというのもその解決策のひとつなのかもしれない。

 しかし、今のままの議会で可能なのか。議員に能力があるのか、と問われるとなんとも言えないのが正直なところだ。制度ができれば、議員がより真剣になるのかもしれないが、さてどうなのだろう。

■今後

 会場との議論で、今後の議会を考える意味でポイントになると思えるものがった。それは、大阪や名古屋の状況を見ると、首長の人気にあやかろうとする議員が議会の過半数を超えてしまうかもしない。過半数を得ると堕落した議会、大政翼賛会になってしまう。ひとつ間違えるとヒットラーのようになってしまうかもしれないという危惧の意見だ。
多様性議会 001 また、地方議会は危機になっている。政策立案を議員が簡単にできないからだ。資質、経験が違うことも原因だが住民が自ら決めることをしてこなかったことも大きいという発言もあった。自ら考え判断しないで何か問題が起きれば人のせいにしてしまう。お任せ民主義ではダメということだろう。

 シンポジウムでの結論はでなかったものの、片山大臣の発言にあり、三谷議長も認めていたように、全国の自治体が同じ制度でいいのかの疑問は残されている。人口数百人から何百万人まで同じような制度で良いのかの疑問だ。例えば教育委員は、一律に5人と決まっている。地域の実情に合わせて、議会制度も含め何が最もいいのかを考えるべきなのかもしれない。
 地域主権、地方分権、言葉はどちらでもいいが、地域のことは地域で決めるべきと考えるのであれば、議会制度も地域で決めるべきではないか。そうなれば、国が決めたままのどこでも同じような自治体の姿ではなく、多様な地域になる。多様な地方政府になるのではないかということだ。そのほうが地域、地方の力も高まるのかもしれないと思ったシンポジウムだった。

 議連の今後の活動はまた未確定。だが、片山大臣も興味を示しているように議会制度自体は、今後、変わっていくのではないだろうか。不要論も含めて、今のままで良いとは思っていない人が少なからずいるからだ。何時になるかは分からないが、鬼に笑わないようにしないと、と思った。

【参考】
朝日新聞 Y150赤字 12億円「穴埋め」案可決

写真下は、和田順義石狩市議からいただいたもの。この場を借りて感謝申し上げます。川名はパネルディスカッション第一部のコーディネーターを務めさせていただきました