歴史資料館の”歴史”

 西部図書館の跡地を歴史資料館にするかどうかが、にわかに争点化したのが先の文教委員会だった。その前の私の一般質問で、そもそもの歴史資料館にあり方に疑問を投げかけたが、文教委員会に所属する他の議員も同意見であることも明白になったともいえる。そこで、あらためて武蔵野市の歴史資料館のこれまでの流れ、歴史をおさらいしてみたい。



■長期計画では優先事業だった

 歴史資料館を作る動きは、1971年(昭和46年)に市議会で郷土資料館建設に関する請願が採択されたことが発端だ。その後、1981年(昭和56年)の第二期基本構想・長期計画では建設だけではなく、民族資料館構想の推進が示され、第三期基本構想・長期計画では優先事業となった。しかし、第四期基本構想・長期計画調整計画では「歴史資料館については、武蔵野市に残された文化財や古文書・公文書や、中島飛行機武蔵製作所に代表される戦争の記録などを収集・整理・保存・公開する場として、その規模や機能について引き続き検討をすすめる」と後退した表現となり実現にはいたっていない。

 また、建設が想定されていた場所は、旧図書館跡地(現在の中央図書館北の空地)とされており、ここに建設されると考えている人もいる。その理由には、公文書の保存を考えれば市役所に近いほうがいいとの過去の検討からの結果からだ。

■財政面でできなかった 今からなら財政が良くなるのか

 実現できなかったことについて、歴史資料館(仮称)調査委員会報告書では、「バブル崩壊などの影響を受け財政事情が厳しくなったことから建設には至らなかった」と説明している。この理由は当然のことで懸命な判断だと思うが、他に進められている事業や新たなに建設されている施設があることを考えれば、非常に優先順位が低い事業であったことは明白だ。今後の財政状況を考えれば、事業自体を行うべきかが問われることにもなる。

 このことはまた、基本構想・長期計画で示されていながら進めなかったことになる。そのため、基本構想・長期計画とは一体何なのか。書かれたことはやる、書かれないことはやらないのか。それとも、とりあえずの机上だけの計画で、つくればそれでオシマイという計画なのかというそもそも論にも直結する大きな課題だろう。

 一方、国は2009年6月に「公文書管理に関する法律、公文書管理法」を制定し努力義務ではあるが、自治体にも明確なルールの元に管理をするように求めている。この法律は、消えた年金などの問題から公文書を残す必要性が生まれたことから制定されたものだ。武蔵野市でもこの法律ができる前から公文書の管理や保存方法を規則で定めているが、どのように活用するか、整理するか、保存すべき文書とは何かなどを明確にしていなかった、言葉は悪いが、先送りしてきたことが今日になって新たな課題になっているともいえる。

■ネット上で公開、府中と武蔵野で民具に違いはない

 歴史資料、公文書を残していくことは必用だが、そもそも武蔵野市にしかない歴史資料とは何か。公文書は、文書という形で残さなくてはならないのか。重要なのは中身であって、データで十分ではないかとの疑問も私は思っている。このことは先の一般質問で行っているので、別の機会で市の考え方は伝えることにするが、ここで非常に興味深い議論が過去にあったことを伝えたい。

 その議論とは、平成17年3月に提言書を出している武蔵野市歴史資料館(仮称)検討有識者会議での議論だ。議長は当時の市長の土屋正忠さん。

 例えば次のような議論があった。

○ホームページ上に、歴史資料館をオープンするのはどうか。バーチャルミュージアムは時代的にはよい。本当の資料は、美術館などで移動資料館型の展示もしてもらうとか。例えば、文化会館に来た人が、歴史資料館の券も付いているので、ついでに回れるような形にすればどうか。音楽コンクール関係の資料もあるなら、結構来るかもしれないので、セットにするとか考えられる。

○公文書館的なことはできる。それぞれの行政のヒストリーがあるのに、突然昔の農具などの展示にいってしまうから、武蔵野でなくてもどこの資料館だって同じだということになる。

○多摩はどこでも江戸時代までは金太郎飴的な歴史なので、この際、江戸時代のことは前史としてあまり強調しないほうがいいのではないか。
○確かに武蔵野の民具と府中の民具は変わらない。
○武蔵野の民具も江戸と明治・大正でそんなに変わらない。政治の時期区分で道具が変わるわけではないし、むしろ江戸時代の延長で昭和20 年代くらいまでずっとあるわけで、近代の枠の中で十分展示は可能だ

○先に資料などのカードを作成して、書類上の資料館を作ったらどうか。
○それを提言の中でしよう。美術館を造る時にその方式をとった。なぜ武蔵野市が美術館を造るのか、いろいろ議論した結果、まず美術館活動をやろうと。企画展をずっとやって、当時美術館はないが美術館活動は盛んになってきた。活動をやっているうちにノウハウが身についてきて、美術館を造った。そうしたやり方で、歴史資料館という活動を実際にやって先行させたらいいかもしれない。だんだんイメージがつかめてくれば、お客様の反応も分ってくるだろう。既存のスイングホールや文化会館の展示室を使って、いろんなことを実際にやってみることがよいと思う。

■箱よりもソフトが先

 この議論を読んでみると、当時からインターネットを活用すること(デジタルデータ化すること)を考えていたこと。施設を先に作るのではなく、展示などをやってから必用なものを考える、いわばソフト重視で行おうとしていたことが分かる。今回、西部図書館の跡地が決まっていないし施設を新設するのではないからお金がかからないからここにしてしまおうという発想とはまったく異なっていることに驚いてしまうほどだ。残念なのは、この提言がその後、何らかの動きになっていないことだろう。
 
 歴史資料館は、平成21 年4月現在で国内で53館がある。内訳は、都道府県で30館。政令指定都市7に館。市町村では16館であり、非常に数が少ない。しかも、武蔵野市独自の民具は少ないのだ。

 歴史資料館の“歴史”を振り返っても、特に武蔵野独自の民具はほとんどないのだから、民具展示は必要ないだろう。小金井公園にある江戸東京博物館で展示してもらってもいいのでとの思う。行政資料、公文書を保存することは必用だ。武蔵野には独自の施策があり全国的にも価値は高いと思うからだ。しかし、施設を使ってまでとは思えないのだ。必用な現物は少しは残すとしても、必用なのは冊子という物質ではなく中身、そのコンテンツなのだ。データ化すれば十分ではないだろうか。