河村名古屋市長が議会の解散請求  他人事ではないかも

 河村たかし名古屋市長の支援団体が市議会解散請求(リコール)の署名集めを開始する。報道によれば河村市長は、「今の市議会では市長選の公約を実現できない。必然だ」(中日新聞 2010年8月3日)と述べている。
リコールがどうなるか分からないが、この問題の根っこはどの議会にもあるのではないだろうか。


名古屋市議会は、河村市長が誕生して以来、急ピッチで議会改革が進められている。
 たとえば、
・議会基本条例の制定
・市民が議会で発言できる制度(市民3分間議会演説制度)
・予算編成の透明性の確保と市民意見の予算への反映に関する条例(予算の編成過程の情報を公開し透明性を高め、市民の声を予算に反映できるようにする)
・中期戦略ビジョンの議決化(名古屋市の総合計画について議会の議決を必要とするもの。武蔵野市の長期計画にあたる)
 などだ。

 中期戦略ビジョンの議決化については、「具体的な点に及んでおり議会の権限を越えている」として再議に付す予定だという(中日新聞 2010年7月20日) 。
 
 しかし、議会が動き出したことは良いとしても市民に議会の必要性、重要性が認識されているのかの疑問が残る。議会なんかいらない、必要ない。あってもボランティア程度の簡素な組織でいいと思われていないかということだ。

 名古屋市民が議会のリコールをどのように判断するか、議会への認識がどのようになっているかは分からないが、じつはこの問題の根っこは他の多くの地方議会にもいえることではないかと思っている。議会の重要性を市民に理解してもらえているか。その責務にあった活動をしているか。議会発言は言いっぱなし、面倒を起こしているだけではないか。議決の手の上げ下げだけしかしていないのではないか。たんなる利益誘導をしているだけではないか。議員でいることで喜んでいるだけではないか。議会、議員のコストに見合った成果を出していないのはないか…。

 自ら改革を進め、二元代表制の一翼として機能する議会になっていれば話は違うだろうが、多くの地方議会、議員が今一度、自らを振り返ってみる必要があると思った。名古屋だけではなく、阿久根市でも同様。議会の存在意義が問われている。