自分たちのまちは自分たちでつくれるか

武蔵野市第四期長期計画調整計画を策定するにあたって参加した市民委員の有志が、「自分たちのまちは自分たちでつくる」と題した冊子をまとめ、10月29日にそのお披露目と合わせた意見交換会が開催されました。

策定後の市民としての行動の報告などの意見を伺っていると、短い時間でしたが、調整計画策定に参加した市民が次へつなげようとの動き出していることは、武蔵野市にとって大きな力になると思いました。計画を実行することはもちろんのこと、このような力や輪をどのように広げていくかがこれからの市政に問われてくると思います。



会の冒頭、この冊子をなぜ作ったのかとの説明がありましたが、そのなかで、策定に携わって良かったとの思いがあったこと。その思いの「なぜ」「どこが」を言葉で残したかった。良かったことだけではなく、反省もあった、問題もあった。市民会議に懐疑的な人もいたが、そういう人も含めて市民だ。いろいろな意見もあったが、主な論点も書かれている。それらも残すことで、第五期長期計画など次へつながるとの思いがあったから、と話されていました。

また、冊子の欄外には、自治体施策研究所をつくろう、と書いたように政策を考えられないだろうかとの思いもあったと話されていました。

このことを考えるとたんに参加して意見を言ってきたという市民参加の初歩的な段階から、政策や具体的な事業を課題解決も含めて考えるという次の段階を考え出した人たちも増えてきたのではと思いました。

計画作りに携わった人たちの思い出話をする“クラス会”ではなく、今後に活かしたいとの思いの意見交換会であり、今後に期待を持ちたいと思いました。

■約100人近くになる市民が参加して調整計画策定へ向けての市民会議が設けられましたが、多くの市民が参加することについて、議会では賛否があり、必ずしも良い評価だけとはなっていません。先の決算委員会でも、一人の委員が途中で辞めたことを理由に意味があったのだろうか、と疑問の声もありましたし、調整計画の策定時にあった議会との意見交換(全員協議会)では懐疑的な意見を述べる議員も多く、当初予定よりも時間がかかり二日間に渡って全員協議会が開かれるなど邑上市政の特徴とも言える市民参加方式については、議会では評価が分かれています。

現時点では、役割りを終えた事業ですが、この会での様子を聞いていると、せっかく参加してきた人をもっと活かすことはできないのだろうかと思いました。

多くの市民参加で課題になるのは、市民と行政との間で意識や情報が異なることから、軋轢が生まれてくることです。それが時としては市民の意見を聞かない行政だとか勝手なことを言う市民ばかりだとのなり、面倒なだけ時間がかかるだけと双方が思い市民参加が進まなくなることがあると思います。

今回の市民会議をできるだけ傍聴していましたが、ある程度かもしれませんが行政のシステムや何をしているか分かってきた市民と市民が何を考えているのか、どのような情報を知りたいのか見えてきた行政と互いの距離が近づいてきたと思えたのが今回の調整計画策定での一番の成果ではないか、と私は思っています。

そのため、計画が終ったからそれで解散ではなく、形は何であれ定期的に集まり顔を合わせながら、意見を交換していくことが、市民参加をより深めると思うからです。

今回は市民側から提案しての会であり、職員も何人か参加していましたが、主催はどちらでもいいですから、このような会をもっと続けていくべきだと思います。

そして、何より重要なのは、調整計画という計画を作ったからお終いではなく、その計画を実行し計画が目標とする姿に近づけていくこと。そのために、策定に関わった市民も職員も計画をチェックしていくシステムを作るべきだと思います。

民間会社の計画では当たり前のことですし、先進的な運営を行う行政でも取り入れているのがPDCAサイクルですが、今回のことで考えれば、市民が参加して作成したP(Plan)が調整計画であり、今年度からこの計画に基づいて予算が執行されD(Do)となっています。しかし、次のC(Check)やA(Action)については何の規定もありませんし、市民参加でつくられた計画にCもDもないのもおかしなことだと思います。

武蔵野市政の運営手法にこのPDCAサイクルがないこと、取り入れるべきとはこれまでのも何度も提案してきましたし、動きが出てきていることは評価しますのであえては言いませんが、格式ばった会ではなく、市民と行政とが集まり、現在はどのように進行しているか、あるいは、このような点で動きができていないなど意見交換をして、課題をクリアするように話あってもいいのだと思います。

次の長期計画策定時にチェックをしても遅すぎます。計画は実行して計画の目標を達成するための設計図のようなもの。計画を立てることが目的ではないのですから。この点だけが気がかりです。