三鷹市のIT活用

IT戦略を中心テーマに三鷹市を視察をしてきました。
三鷹市といえば、武蔵野市に隣接していますし、同じ0422という同じ市外局番(一部除く)を持つなど密接な関係があるように思いますが、近いようで遠い市にも思えていました。互いにライバル視して近づきにくいことがあったのかも知れませんが、敵対する必要はなく、互いの特徴を生かせる連携を考えても良いのではと思います。


この視察は、他の会派との方々と一緒。さながら、各会派が一緒に出かける委員会視察の様相でもありました。

それはさておき、三鷹市のIT戦略や(株)まちづくり三鷹の話を伺っていると、横目で武蔵野市を見ながら、三鷹市独自の戦略を考えてきたこれまでの経緯がよく分かりました。

例えば、三鷹駅南口の開発です。
三鷹市は、武蔵野市と同じように戦前は中島飛行機があったことから関連の工場などが多かったこと。日産の研究所などがあったこともあり、中小の工場が5000以上あり、当時の“シリコンバレー”でもあった歴史を持っています。

しかし、戦後、工場が撤退し住宅地となっていったことで優秀な技術はあるものの継承することができなくなったこと、さらに、撤退による商業の衰退が起きていたことから、産業振興をどうするかが市としての大きな課題となっていたのだそうです。

そのため、三鷹駅南口を開発し大型商業施設の誘致を、の考えが、かつてはあったのだそうです。ですが、隣の駅には吉祥寺がある。大型商業施設を誘致してどれだけ効果があるのか。それならば競合することを考えずに、三鷹市の地域産業をどう掘り起こすかを目指すことにした。
その背景には、これからの高齢化社会を考えれば、商圏は近くなるはず。南口にもチャンスはあるとの長期的な見通しもあったと担当者の方は話されていました。

そして、その中核となるのが、「株式会社まちづくり三鷹」でしょう。
株式会社としていることで、収益事業が可能となり、市の補助金に頼らずに自立が可能で、継続性があることがあると思います。
最近では、公益法人改革により、賃貸収入などがあることで公益法人(財団法人など)が認められなくなってきていますので、先見の明があったと言えるのかもしれません。

事業内容は、公式サイトをご参照いただくとして、産業支援以上に注目すべきことがITの積極的な活用があると思います。IT活用は、三鷹市全体にも言えることです。

これは、三鷹市でINS実験(※)が行われたことから、ITへの関心が古くからあったことが発端となっているのだそうです。
実験が行われた後、市関連のビルが空いたことから、ITを活用した産業支援が考えられ「三鷹まちづくり研究所(所長が清原市長)も作られ、SOHOの言葉もなかった頃から支援を始めたことも現在につながっているとの説明もありました。

IT活用は企業支援だけでなく、子育てネットの構築による市民支援、学校では教師ひとりに一台のパソコンを支給しているなど、現在ではさまざまな分野でも行われています。

ITの活用を考えた当時は、海のものとも山のものとも分からない人が多いような社会状況だったと思います。
それでもあえて推進をしようと考えたのは、自らのまちの特性を考え、どこの優位性があるのか。他の市と同じようなことをやって効果があるのかを分析した結果ではないのか、と一日をかけて三鷹市を視察した感想です。

細かいことを書けばきりがなく、どちらの市が良いとか悪いとは言えませんが、どこにアンテナを張るか、自らの足元を確かめて先を考えることが何よりも重要なのだと思いました。

事業が成功するしないは時の運も大きいでしょう。しかし、ひとつのきっけかにどこまで注目するか。そこから派生した動きを大切にしていくか。度量のひとつかもしれませんが、IT戦略は、行政の力量が問われてくる事例なのかもしれません。

また、隣接している市でも考え方や戦略にずいぶん差があるとも思いました。どちらが優れている、劣っているということではありませんが、今の時代、意地を張り合っていても無駄なだけです。得意分野は連携することや同じような事業を行うのであれば、もっと協力しても良いのでは、とも思えた視察でした。

※INS(Information Network System:高度情報通信システム)実験は、1984年から3年間、電電公社(民営化される前のNTT)によって実施されたもの。同時にキャプテン・システム(Character And Pattern Telephone Access Information NetworkSystem:文字図形情報ネットワークシステム)の実験も行われ、三鷹市と同時に武蔵野市も対象となっていました。当時は、「ニューメディア」として、マスコミも注目をしていた実験でした。

実験は、情報端末を使いテレビ会議を行うことや希望する映像情報を入手するというプログラムの実証を行うもので、今のインターネットの先駆けと言えるかもしれません。しかし、回線速度の遅さ(ウインドウズ95が出る前ですから)もあり、事業としては日の目を見ず、インターネットにその役目を奪われたと考えられる実験でした。

また、あくまでも国とその委託を受けた企業が行う実験であり、回線などインフラを整備など行政的なメリットはあまりなかった実験とも言われています。そのため、物珍しいことをやったなぁ、で終わったような実験だったのかもしれません。

■三鷹市の場合は、この実験の可能性に気が付いた市民や研究者と行政が交流を続け、97年に、三鷹まちづくり研究会が作られ「情報都市みたかへの提言~INS実験都市からSOHO CITYへ」などの提言を市に行い、市も受け止めいったことが今につながっているのだと思います。