負の遺産

1月31日に調整計画原案への市民ヒアリングが開かれました。
この席で市民側からの意見に気づかされたことがありました。それは、「長期計画は負の遺産だ」との意見です。

「負の遺産」の特徴と言えるのが学童クラブの土曜閉所です。
長期計画が素晴らしいと崇拝するのは勝手ですが、その策定手法の問題を分かっていないと、今回の調整計画策定の意義は見いだせないはずです。


武蔵野市の子ども施策の行動計画として、第二次子どもプラン武蔵野(平成17年度~21年度)があり、現在は、この計画に基づき各種の事業が行われています。

第二次子どもプラン武蔵野は、第四期長期計画の分野別アクションプラン(実施計画)として策定されたものですが、そのベースとなったのは、第三期長期計画第二次調整計画と併せて策定された「子育てプラン武蔵野(地域児童育成実施計画)」(平成12年12月策定)です。

同じような名前なのでややこしいのですが、オリジナルの「子育てプラン武蔵野」は平成13年度を初年度とする計画であり、その前段階として策定されていた「『子育ては楽し』委員会提言」(平成11年3月)と「武蔵野市地域児童育成基本計画」(平成12年3月)に基づき策定されたものです。

その後、第二次のプランになったのですが、本来であれば、第二次前に策定しなおすべきですが、平成15年7月に次世代育成支援対策推進法が施行され、市町村が行動計画を策定しなくてはならなくなり、武蔵野市の場合は直前に策定したオリジナルの「子育てプラン武蔵野」があったために新たに策定をせずに、次世代育成支援対策推進法による行動計画としても使い、その計画が現在に至っているのです。

簡単に整理すると

[1]『子育ては楽し』委員会(11年3月)
     +
   地域児童育成<基本>計画(12年3月)
 
     ↓
 
[2]子育てプラン武蔵野(地域児童育成<実施>計画・12年12月)
→  第三期長期計画第二次調整計画のアクションプランへ
     ↓

[3]第三期長期計画第二次調整計画(13年3月)

     ↓  

[4]第二次子どもプラン武蔵野(第四期長期計画のアクションプラン・17年3月)
 
     ↓
     
[5]第四期長期計画調整計画
  
     ↓
     
   第三次子どもプラン策定予定(22年度)
        
となります。

この課程のなかで市民委員をいれたようなオープンの策定委員会は、子ども分野に限れば、[1]の時期より行われていません。そのため、第四期長期計画への市民参加は、ヒアリングのみという参加でしかありません。その意味では、調整計画策定の前年にあった分野別の市民会議は非常に大きな意味があったことになるのです。

市民参加もそうですが、上記の表にはもっと大きな問題が現れています。

策定年月は、「第二次子どもプラン武蔵野」の『第1章 計画策定の背景と基本的な事項』や第三期長期計画第二次調整計画に記載されていますが、注目すべきことは、[2]の子育てプラン武蔵野が策定されたのが12年12月であるのに、その上位計画である第三期長期計画第二次調整計画がの策定は13年3月になっていることです。

子育てプラン武蔵野(地域児童育成<実施>計画は、第三期長期計画第二次調整計画のアクションプランとして位置づけられているのですが、上位計画、つまり理念や方向性、他の施策との関連などの計画が決まっていないうちに、上位計画に基づくアクションプランが作られていたのです。

子育てプラン武蔵野(地域児童育成<実施>計画)には、『平成13年度を初年度とする、第三期長期計画第二次調整計画の、子ども施策分野の具体的・専門的な計画書として、社会状況や本市の財政状況を勘案しながら、子ども関連施策を総合的に推進するため、策定されたものです』と書かれています。

つまり、12月に出された実施計画は、その翌年の3月に出された第三期長期計画第二次調整計画を基にして作っているです。

タイムマシンがあったのでしょうか? 

ないのであれば、上位計画を無視して実施計画を作ったことになり、その計画が今の計画へ引き次がれているのです。

しかも、地域児童育成<基本>計画の策定には市民委員が多数入っていましたが、地域児童育成<実施>計画の策定委員は、学識経験者が2人と教育委員、民間保育園関係者がいるだけで他メンバーは全て市の職員と助役という構成でした。市民意見が反映された基本計画が実施計画になると市の都合の良い内容になってしまうと考えられてしまう委員構成だったのです。市民参加は形だけ、と言われても仕方がないと言えるでしょう。

第三期長期計画第二次調整計画基本計画の原案に対しての市民ヒアリングが、確か13年1月だったと思いますが行われています。その当時は市民として私は参加をしていましたが、ヒアリング時に「計画はイカサマじゃないか!」との怒号が飛んだことを覚えています。

ヒアリングの直前に実際の具体的な次の計画(アクションプラン)が作られ発表されていたのですから、何のためのヒアリングなのか無意味に思うのは確かですし、「イカサマ」としてしまう気持ちは理解ができるものです。ヒアリングをして上位計画が変わったら、アクションプランが変わるのか、と問われた委員は返答に困っていました。
子ども分野に限ったことだと思いますが、実際の計画が固まっているのに上位計画を作って意味があるのか。調整計画の意味も分からないという状況だったのです。

武蔵野市において市民参加は以前から行われていましたが、このような実体もあった“市民参加”なのです。

負の遺産には、学童クラブの土曜閉所のこともありました。
詳細は以前書いていますが、閉所の説明会では、説明するだけの会であり意見は聞くだけ。市が決めたことに従ってもらう、と決めつけられていた会もあったのです。

また、学校が週五日制になり土曜日の授業がなくなったさい、学童の土曜開所時間は、11時30分から17時にするとの通知が保護者に出されていたこともありました。

閉所よりかは良いかもしれませんが、11時30分からでは意味がありません。仕事をしているほとんどの家庭は、朝から夕方まで働いているはずだからです。

なぜこの時間としたかは、通常の授業がある日は学童クラブの指導員(嘱託職員)の勤務時間がこの時間帯だったからが理由でした。

つまり、保護者の都合は全く考えずに、授業があった時の勤務時間で開所時間を決めていたのです。

さらに、土曜日のあり方がおかしいと、私がある職員に話をしたところ、騒ぐならすぐに閉めてしまうぞ、と言われたこともありました。
何様だおまえ、と机を投げつければ良かったのかもしれませんが、その時は怒りを通り越して呆れ果ててしまったことを覚えています。

このバカバカしい開所時間の考え方では意味がない、市の考えも許せないと思い私も含めて多くの保護者は署名活動を行い市議会へ陳情、採択となり、その結果として朝9時からの開所となりました。しかし、終了時間はその分前倒しとなり15時30分で終了というものだったのです。

この後、土曜日の利用者が少ないからと閉所となりましたが(開所していたのは一学期と夏休みだけ)、そもそも利用しにくい時間での開所ですから、利用しようにもできないという事情もあったのです。

当時の土曜日の利用者に聞くと、夕方まで開所していないのであれば、閉所と同じ。親戚に預ける、あるいは仕事を辞めたという家庭が少なからずありました。保護者の利用実態を考えもせず、開所時間の工夫もせずに閉所してしまっていたのが実際なのです。

調整計画原案の市民ヒアリングでは、土曜開所を考えるのではなく、開所してから閉所を検討するなら納得できる、と提案もありました。私も同感です。

学童クラブの土曜開所については、あそべえ(全児童対策事業)があるとか利用者が少ないから、と委員は行政から説明されていると答えていましたが、そもそも強引な閉所でしたから、そんな後付の理由では、当時を知るものとしては納得ができないのです。

さらに、学童クラブ事業は、法的には放課後児童健全育成事業となり、学校が休みで放課後がないのだから開所する理由がない、ということも理由としていたのです。

それなら、他の自治体はなぜ土曜日を開所しているのか(多摩で土曜閉所は武蔵野市だけ)理由が付きません。今、思いかえしても無茶苦茶な論理がまかり通っていたのが、その昔の武蔵野市だったのです。

負の遺産を精算する。
調整計画ですから、調整するのでも良いのかもしれません。

言葉だけで読めば、大きな問題に思えないかもしれませんが、その課程には大きな問題が染みこんでいることもあるのです。

なぜ、ヒアリングでわざわざ発言しているのか。その思いを理解する、あるいは、調べてみるという心構えが策定委員にも議会にも行政にも必要ではないでしょうか。

今回の策定委員は、できないこともあると説明したうえで、それぞれ発言者の思いを受け止めていました。事務方となる現在の行政にも同じ思いがあるようです。これだけでも、武蔵野市が変わったと思えてしまいます。

昔のことを思い出すスイッチが入ってしまいましたが、より良い調整計画になることを願ってやみません。