武蔵野市に残る戦争の記憶

c4c5f8ba.jpg武蔵野市非核都市宣言25周年記念事業として開催された「武蔵野に残る戦争記憶を訪ね歩き、未来へ語り継ごう」に参加しました。開催日は、07年12月2日。約2時間をかけて市内に残る太平洋戦争に関連している施設や跡地を歩こうとの企画でした。


武蔵野市が戦争と深く関わっていたのは、中島飛行機製作所が現在の市役所や中央公園周辺にあったからに他なりません。
中島飛行機製作所は、「隼」や「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機)のエンジンを製作しており、米軍による重点爆撃目標でもあったことから、9回(市のサイトによれば10回以上)も空襲があったのだそうです。
昭和19(1944)年の武蔵野町の人口が約5万9000人であるのに対して、中島飛行機製作所の従業員数が約5万人(最盛期)というのですから、その規模の大きさにも驚かされます。

歩いたコースは、市役所に集合してから、武蔵野市営陸上競技場と四中、NTT武蔵野研究開発センター、都営武蔵野アパート管理事務所、都立武蔵野中央公園、延命寺、源正寺というコースでした。それぞれの戦争との関係を簡単にまとめると下記になります。

nakajima02○陸上競技場と四中
 四中は、一定規模以上の向上に義務づけられていた青年学校の跡地。陸上競技場は、中島飛行機製作所の厚生施設。観客席の盛り土が防空壕になっていた。
 
 
 
 
nakajima03○NTT武蔵野研究開発センター
 組み立て工場があった場所。2001年に老朽化で取り壊されるまで、戦争当時の建物が現地にあった。全工場に張り巡されていた地下道も残っていた。保存記録は残っている。
 
 
 
 

nakajima04○都営武蔵野アパート管理事務所
 中島飛行機製作所の変電室跡で建物として唯一現存している。頑丈に作られていたため、窓枠をサッシに変更され管理事務所などで使われてきた。現在は、倉庫。

nakajima05○都立武蔵野中央公園
 工場の跡地だが、現在では何も残っていない。市民・市・議会による返還運動があり75年に公園となった。
 
 
 
 

nakajima06○延命寺
 1672年創建。中島飛行機製作所のすぐ南に位置していることもあり、境内に爆弾が落ちたこともある。住職さんが戦時中の遺物を収集し保存しており、境内には、爆弾の破片(250㎏爆弾)の破片が展示されている。平和観音菩薩像も建立されている。
 
 
 
 
nakajima07○源正寺
 1663年創建。爆弾により本堂が倒壊。中島飛行機製作所がこの地に工場を建設したさい、地主のとりまとめ役を果たしている。ちなみに、坪5円だった土地を11円で買収という好条件だった。身元不明の遺体を慰霊するために1948年に「倶會一處(ぐえいっしょ)」の碑が建立。機銃掃射や爆撃で破損した墓石も残されている。
 
 
 
 
 

この他に、日本イスラエルパレスチナ学生会議によって植えられたオリーブの木にも立ち寄り説明を受けました。 
 

武蔵野市で生活をしていると、この地が戦争と深く関わっていたことは普段は意識しません。特徴のあるモニュメントがないのが理由かもしれませんが、少しだけ残されている“記憶”を歩きながら訪ねるというこのような企画で、現実に起きていたことが、体で分かるような気がしました。歩いて訪れることで、より印象深かいのだと思います。今後も続ける必要があると思います。

今の時代だからこそ、忘れてはならない「記憶」です。

武蔵野市の戦争時を含む歴史は、市のサイトにある「むさしの百年物語」をご参照下さい。